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戦乱の邪馬台国~失われた航跡

魏使がカラフト経由で邪馬台国にやってきた新説「戦乱の邪馬台国」を公開。

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一-4 帯方郡から倭の北岸、狗邪韓国まで

 まず帯方郡である。
 後漢の末のころ、西暦でいえば一八九年(中平六)のことになるが、公孫度という人物が中国東北部の遼東の太守に任命された。彼は、その地に後漢の勢力があまり浸透していないのをいいことに、朝鮮半島に進出し、現在のピョンヤン付近にあった中央の出先機関である楽浪郡を手中に収めた。そのあと、公孫度はさらに勢力を伸張し、肥大化した楽浪郡の南部を分離独立させて帯方郡を造った。やがて後漢の世が終わって三国時代に入ると、息子の公孫康は表面上は魏の曹操に恭順して領地を保ったものの、強烈な自立意欲をもったその子公孫淵は、あろうことか魏の敵国である呉と同盟して自立し、燕という国号を称した。
 腹背に敵をもつかたちになった魏は、公然と反旗を翻した公孫淵を討つため、将軍司馬懿に四万の兵を授けて討伐軍を発した。かつて強敵諸葛亮の率いる蜀軍の侵攻を何度も食い止めた司馬懿にとって、公孫淵を討つことなど、物の数ではない。難なく公孫淵とその一族を滅ぼし、帯方郡と楽浪郡を完全に魏の直轄下に組み入れた。これが二三八年(景初二)のことだから、まさに卑弥呼が魏に使節を派遣した年のことである。
 第一部第二章で述べたように、じつはこのことをもって、『魏志倭人伝』の記載が間違っていると指摘する声が大勢を占めている。司馬懿が公孫淵を破り、その一党を斬首に処したのはこの年の八月で、卑弥呼の使節が帯方郡に到着したのは、その二ヶ月前の六月だから、そのような、まだ帯方郡の帰趨の定まらない不安定な時期に使節を出すはずがない。したがって『魏志倭人伝』の「景初二年」の記述は、翌年の「景初三年」の誤りだとするのである。たしかに一理ある。しかし私は、そのような混乱した時期だからこそ、卑弥呼は使節を発したのだと考えている。
 司馬懿は景初二年の初めに帯方郡に攻め込み、公孫淵の篭る城を兵糧攻めにした。その攻城戦は「長期にわたった」とされているから、この地に侵攻したすぐに、ほとんどまともな合戦もしないまま城下に攻め寄せ、城を囲んだのだろう。それから八月までの間、兵糧攻めに徹した。とすると、「魏が公孫淵を攻めている」という情報はこの年の春以前には卑弥呼の耳に入っていたはずだし、その前年の景初元年には「魏が帯方郡を攻撃する」という情報が届いていたはずである。もし両者が戦えば、圧倒的武力を誇る魏が勝利することは間違いのないことだから、その時点で卑弥呼は使節の派遣を決断した。それまでは魏と倭の間に帯方郡が立ちはだかっていたから、直接魏の皇帝に使節を派遣することはできなかったが、帯方郡が魏の手に落ちれば、もはや帯方郡そのものが魏なのだから、一刻も早く使節を発して同盟を結びたかった。さもなければ、いつ出雲・九州勢力圏が邪馬台国に攻めてくるかわからないからである。卑弥呼は事を急いだ。もし帯方郡が陥落する前に使節が到着したとしても、そこには司馬懿の率いる攻城軍がいるし、すでに公孫淵滅亡後の帯方郡を掌握するための官吏たちが入って実質上は機能しているだろうから、彼らに朝貢の意思を伝えればいい。それだけで十分に誠意は伝わるのである。そのように考えた卑弥呼は、『魏志倭人伝』の記述通り、景初二年に到着するよう、魏に向けて使節を発した。そして使節は、当地に太守として任官してきたばかりの劉夏に会った。私は、そのように考えている。
 ちなみに、「魏が公孫淵を攻めている」という情報や、「魏が帯方郡を攻撃する」という情報が卑弥呼のもとに届いていたと書いたが、卑弥呼としては、邪馬台国の命運を左右するかもしれない大陸の勢力関係について、その動向を大いに気にしていたから、身元を隠した幾人かの情報収集担当官を朝鮮半島に置いていたはずである。彼らが、朝鮮半島の諸国や魏の動きを卑弥呼に逐一報告していた。そして、「魏の帯方郡攻撃」という一大事は、彼らによって即刻卑弥呼に伝えられた。一刻を争う情報だから、その使者は、第一部で述べたように、北方迂回ルートではなく、複数の船を仕立てて対馬海峡を渡り、但馬に上陸したのである。
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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2011/06/10(金) 10:42:26|
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著者:野村篤
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