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戦乱の邪馬台国~失われた航跡

魏使がカラフト経由で邪馬台国にやってきた新説「戦乱の邪馬台国」を公開。

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一-2 帯方郡から倭の北岸、狗邪韓国まで

 まず、
「倭人は帯方の東南の大海の中にあり」
 と記された「東南」という方角について、地図上で確認してみよう。すでに帯方郡はピョンヤンの南五十キロの地点にあったと推定しているから、そこからの方角を見てみると、奈良盆地の場合は「東南」から少しばかり「東南東」に近く、九州の場合は「東南」から「南南東」に近い。いずれの場合も、大きくくくってしまえば「東南」の方角になるから、右の記述は正しい。このような厳然とした正答があるにもかかわらず、「『魏志倭人伝』の方角が誤り」とする研究者がいるのは、笑止のかぎりである。
 右の「山島に依りて国邑をなす。旧百余国。漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十国」
 という記事によると、かつて倭には百あまりの国があって、そのうちのどこかの国が漢の時代に朝貢したという。その後、先述のように、たがいに攻伐を繰り返して、邪馬台国の時代には三十国にまで減少している。
 この記述の中で、狗邪韓国は「倭の北岸」だから邪馬台国には属していない。それ以降の、邪馬台国までの行程上にある国が七カ国、それ以外の遠隔の地にある国が二十一だから、これに邪馬台国を加えると、合計で二十九になる。さらに狗奴国を加えるとちょうど三十になるのだが、どうだろう。ここでいう「三十国」とは、「使訳通ずる所」、つまり魏の使者が通じる国という断りがあるから、邪馬台国連合を構成する国家数を意味していて、それ以外の、邪馬台国と敵対する狗奴国は含まれていないという解釈もできる。そのあたりのことはよくわからないが、いずれにしても当時の日本には少なくとも狗奴国を含む三十の国が存在していて、私の仮説にあるように、狗奴国の他に九州にも複数の国があったとすれば、その総数は三十プラスαということになる。
 帯方郡から狗邪韓国までの距離は七千余里、つまり二千八百キロ余である。邪馬台国までの全行程が一万二千余里、四千八百キロ余だから、この第一の行程だけで五十八パーセントを費やす計算になる。これまでの諸説では、帯方郡や狗邪韓国の比定地に微細な違いはあるものの、まずは朝鮮半島の西海岸沿いに南下し、南端に至ったところで東に方向を変えて狗邪韓国に行き着くという経路そのものは、ほぼ全説一致で認めている。しかし、私の北方迂回ルートは、すでにこの時点から異なるルートを採ることになる。

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2011/05/27(金) 10:49:00|
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